ヒューマニズム的な考え方を捨てなければならない! 時代に操作されている無知な自分に驚くばかりだ。
Mon journal
最後の審判
私の日記

「最後の審判」、と聞いて何を思われるだろうか。
自分の好きな人は天国へ、嫌いな人は地獄に落ちれば良い、これを言ったり聞いたり
した経験があると思う。しかしこの勝手に天国、地獄と決めることが問題である。
「昔は、それを判断してもらう為に、教会があり信仰があり世の中の掟があったのだ。
その 実力や地位がそこまで到達した者だけが、宇宙の秩序を代弁する判定者として
認められていた。それが、いまではすっかり忘れられている。別に教会という権威が
良いということではないが、実はこういう宇宙の秩序の位があって判定していると
いうことが、文明の基本だったのだ。この位を尊敬し分を弁えていたのが、
人間の文明だった。いまや全員が位を無視して、好き放題、自分が判定者になって
いるのだから、もはや現代には秩序など存在しない。」脱人間論 p.75より
昔はどんな悪人でも死の際にはローマ法王から指名された終油の秘蹟を望み、
地獄に行くか天国に行くかは、自分で
決められることではないと分かっていた。
我々が審判者になった原因は、実は自分が「人間的」だと思っていること、
今でいう
「人間的」とは「神」に等しいことを意味しているからだ。
そのことに気づき、
ヒューマニズム的な考え方を捨てなければならない!
時代に操作されている無知な自分に驚くばかりだ。
「脱人間論」は、上記にあげた第一章から第八章に、今の人間を捨て、
真の人間の、新しい神話に向かう息づかいが聞こえる。
最後にコールリッジの詩で締めくくられていてカッコ良い!
跋で著者の自分は現代文明に養われて来た人間であるから、
現代文明への恩返しだと思いながら「脱人間論」を書き続けてきた。
との言葉にグッときた。新しい神話を想像しなければならないと....
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